生涯現役の80歳、受け継がれる銘菓「鯨ようかん」への思い 
2025.2.13

宮崎の良いお店を紹介する「さんぽ宮崎」。 

本日は宮崎市佐土原町にある和菓子屋「阪本商店」をご紹介します。 

佐土原の特産品「鯨ようかん」 

佐土原の特産品「鯨ようかん」を昭和初期の創業時から現在まで、変わらない製造方法でつくり続けているお店です。 

3代目の阪本スエ子さんは2025年で80歳。現役で鯨ようかんを手づくり、店頭に立ち販売されています。 

地元から長年愛され続けている阪本商店の魅力と、スエ子さんの鯨ようかんへの思いについてお話を伺いました。 

阪本商店の3代目、阪本スエ子さん 

深夜2時から調理場に立つ 

阪本商店は、宮崎県の広域観光ルート「ひむか神話街道」の佐土原の道路沿いにあり、近くには佐土原城跡など豊かな自然が広がります。 

佐土原の阪本商店 

「ごめんねぇ、今日はまだ終わってないの。」 

取材に訪れたのは午前10時。お店の扉を開けると、すぐ隣の調理場からスエ子さんの声が聞こえてきました。 

調理場に立つスエ子さん 

いつもは作業が一段落している時間ですが、今日は少しだけ寝坊をしてしまったそう。 

驚くことに、仕込みは深夜の2時から開始されています。 

営業時間は8時からですが、朝5時に来店するお客様もいるため、早い時間から調理場に立つことがスエ子さんの日課です。 

阪本商店の商品は鯨ようかんのみですが、午前中で売り切れとなってしまうほどの人気商品です。 

「その日に食べてもらうものだから、たくさんつくり置きもできないのよ。」 

と申し訳なさそうにスエ子さんは話します。 

鯨ようかんは「菓子の刺身」と呼ばれるほど日持ちせず、保存料も使用されていないことも特徴です。また、3代目のスエ子さんと4代目の大矢さん(スエ子さんのご息女)とたった2人だけで製造しているため、数にも限界があり電話予約分だけで完売する日もあります。 

店頭でのスエ子さん 

「80歳ですから、体が思うように動きませんね。昔みたいに無理はできんですよ。」 

とスエ子さんは笑います。 

「伝統を守る」ことへのこだわり

鯨ようかんの発祥は諸説ありますが、300年前の江戸時代に佐土原藩の島津惟久が誕生した祝いに、菓子屋に命じて菓子をつくらせたことが起源。 

生母の松寿院が「鯨のように大きく、たくましく、力強い男の子に育ってほしい」という無病息災の願いが込められており、その外見も鯨に似せているとのことです。 

広島にも同名の和菓子が存在しますが宮崎の鯨ようかんとは異なります。 

阪本商店の創業は昭和初期、スエ子さんの母の叔母にあたる方が創業されました。そして2代目にスエ子さんの母、3代目にスエ子さんと受け継がれてきた歴史があります。 

テグスを使って切断されている 

「原料もつくり方も創業時から変わりません。教わったことをそのままに。仕事の動きは、母の姿を見よう見まねで覚えていきましたよ。」と、特別なことは何もしていないと話すスエ子さん。 

原料は国産米粉・生あん・砂糖・食塩・小麦粉・片栗粉のみです。しかし、生あんこがまとまるように小麦粉をまぜる割合、砂糖と塩をねり合わせ、阪本商店特有のさっぱりとした甘さと塩味の絶妙な味のバランスの調整、あんが崩れないようにつくり上げることなど、これまでの伝統で磨かれてきた技術の高さが伺えます。 

鯨ようかん10個入り 

4代目の大矢さんも、スエ子さんの動きを見よう見まねで覚えていったそうです。 

4代目の大矢亜矢さん 

調理はすべて手づくり 

特別な機械なども使われていない 

生地の上にあんこをのせて蒸す工程でも、昔からの製造方法を変わらず受け継ぎ、竈門で蒸してつくられています。 

薪を入れて火を調節する大矢さん 

昔ながらの器具が現役で活躍している 

「叔母から託されたものだから何としてもお店を守っていかないといけない、と母からよく言われていました。だから私もできる限り昔と変わらず、伝統を守っていきたいんですよ。」とスエ子さんは笑顔で話します。 

暖房も火鉢を使っている 

父と、夢と、お店の思い出

「本当は高校を卒業したら佐土原を出て、歌手になりたいと思っていたんですよ。」 

作業がひと段落したスエ子さんは、昔の夢やこれまでについて詳しく話してくれました。 

昔を思い出すスエ子さん 

歌が得意で大好きだったことから、10代の頃は歌手を夢見ていたそうです。 

「でも私以外、母から店を継げる人はいなかった。父は1944年12月8日に南シナ海で戦死しました。そして、翌月の1月17日に私が生まれた。だから私は父の顔も知らないの。初代と母が戦時中から守り続けてきたお店ですし、昔からのお客様の声もよく聞いていました。私なりに頑張って、このお店を守っていきたいと思ったんです。」 

と、当時を思い出します。 

佐土原も今よりもっと賑わっていましたね、と遠い目をするスエ子さん。

国指定史跡の佐土原城跡(出典:宮崎市) 

昭和天皇の第五皇女、島津貴子さんが新婚旅行の地として宮崎を選ばれたことが先駆けで、1960年〜70年代の宮崎は新婚旅行ブームにより、日本全国の若者が宮崎へ集まり賑わっていました。 

店内の所々に、著名人の色紙や写真などが貼られており、お店の歴史の長さを感じさせてくれます。 

「一番印象的だったのは、『くいしん坊!万才』のテレビ撮影で、宍戸錠さんが来店してくれたこと!鯨ようかんも目の前で食べていただきましたよ。スポーツキャンプの関係で、ジャイアンツの長嶋茂雄さんにも食べていただいたと聞いた時も、嬉しかったですね。」と、スエ子さんは思い出を楽しそうに話してくれました。 

宍戸錠さんの色紙 

店内に著名人のサインが並び歴史を感じる

謙虚に、変わらずにいること

阪本商店の鯨ようかんは、5個入りで420円、1個あたり84円(2025年2月現在)でリーズナブルです。原料も高騰していますが、今は値上げは考えていないそうです。 

2023年につくられた料金表 

「420円から500円にキリよく値上げしたら?と常連のお客様からもご意見をいただきますよ。やっぱり値段をあげるのは良くないと思っています。」 

とスエ子さん。 

「ただ昨年、鯨ようかんを製造していた佐土原の同業者が店じまいした。鯨ようかんを全国展開するために頑張っておられたので、大きく話題になりましたね。お店を守り続ける経営がどれだけ難しいか…改めて感じた出来事でした。」と、少し寂しそうにスエ子さんは話します。 

原料高騰や後継者不足など、和菓子業界の課題は多い 

 

鯨ようかんは日持ちしない和菓子のため、どうしても販売できる範囲も限られています。 

地元スーパーなどで販売するなどの取引は以前にありましたが、運送などの手が回らなくなり今はやめているそうです。 

また、阪本商店は2人だけで手づくりのため、ネット通販も難しく、電話での事前予約がほとんどです。遠方の場合の注文は、冷凍保存して発送する対応もしているそうです。 

「ときどき、お客様がお土産で購入され、それをもらった方が『おいしい!』と喜んでいただき、遠方からもご注文いただく時があります。地元でも、会合などのお茶菓子として阪本商店を選んでいただき、たくさん注文もいただいている。とても嬉しいことです。」 

欲は出しすぎてはいけない、とスエ子さんは頷きます。 

梱包もひとつひとつ丁寧に包まれている

看板と同じデザインのパッケージ 

命が続く限り、鯨ようかんをつくりたい

最後に、これからの阪本商店についてお答えいただきました。 

「とぎれることなく頑張っていきたいと思います。味も変わらず、製造方法も変わらない。嬉しいことに4代目がいるので、守り続けてもらいたいと思います。」 

とスエ子さんは、思いを4代目へ託します。 

4代目大矢さんは「母と一緒に鯨ようかんをつくり続けて、25年になります。私もずっと母の姿を見てきました。このまま変わらず、お店を守り続けたらと思います。」と話してくれました。迷いのない動きに、スエ子さんからの思いをしっかりと受け継がれているのだと感じます。 

3代目の思いを受け継ぐ4代目の大矢さん

最後に「お客さんから、いつまでも元気で鯨ようかんを作ってね、と励ましの言葉もいただきます。お客様とのつながりが一番の喜びですね。命が続く限り、頑張りたいと思います。」と笑顔のスエ子さん。

お客様について話す笑顔のスエ子さん

80歳で鯨ようかんをつくり続けるスエ子さん。 

飾らず、謙虚に日々を過ごすスエ子さんの経営の姿勢、伝統を守り続けるこだわりこそ 

、阪本商店が地元に愛され続ける味を生み出していることがわかりました。 

詳しい店舗情報はこちら 

阪本商店店舗紹介ページ 

※お求めになる場合は、電話で事前連絡をされることがおすすめです